8/21/2015

パソコン用OS黎明期、日本で何が起こっていたか

マイクロプロセッサが開発されてから、ALTAIR8800が生まれた。そこから、ワンボードコンピュータ(Apple I)、自作用キット(TK-80)、家庭用TV出力、オールインワン(Commodore PET)、現在の「PC」に至る標準化(IBM PC)という流れは、今振り返ると必然だ。

ソフトウェアは、当初はハンドアセンブルから始まり、最初はハードウェアごとに開発されていたが、当然ながら共通の基盤であるOSが必要となる。そして、基本的にはOSは勝者がすべてを取る。 いかにして、マイクロソフトがその覇者となり得たかは非常に興味深いが、それについて触れた文献は多くはない。自分が調べた中では、トム佐藤氏の「マイクロソフト戦記」が、 中の人の観点から詳しく参考になったがポール・アレンの「アイデア・マン」がそれをうまく補完してくれた。この2冊に登場する日本人が、元アスキーの西和彦氏で、その西氏が黎明期を振り返る動画が 公開されていて、シンクロニシティに驚いた。

実は、日本はIBM PCが登場する前に、8・16ビットPCの統一にアプローチできるところ、グローバルスタンダードに手の届くところにいた。それがMSXだ。 「マイクロソフト戦記」には、西氏がわずか半年間で日本の家電各社をまとめあげ、ビル・ゲイツが感嘆したことを含め、多くのエピソードが紹介されている。 MSXは、マイクロソフトとアスキーにより主導され、世界の標準となり得たが、空中分解してしまい、アスキーとマイクロソフトの関係も崩れた。 動画の中にも登場するが、日本で開かれたイベントで西氏が1億円をかけて(PCには関係のない)恐竜のセットを作った。 来日して会場を見たゲイツは、顔色が変わるほど怒りまくったそうだ。

MSXの崩壊は、皮肉にも日本の企業がWindowsに向かう流れを作っていくことになる。「マイクロソフト戦記」を読むと、 日本の企業がWindowsの発展に大きく寄与していることがわかるが、そこで不思議に思うのは、なぜ当時日本で独自のOSを作ろうとしなかったのか、ということだ。 開発する技術力とリソースは十分あったはずだが、結果的にはNECを筆頭に各社横並びにマイクロソフトを後押しした形になっている。

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