9/11/2015

二人のジョブズのHPの思い出

WozはHPのエンジニアとして働きながら、Apple Iを作った。 Wozは、「アップルを創った怪物」で「ヒューレット・パッカー時代」という章を設け、HPについて書いている。

HP社は、スタンフォード大学を1934年に卒業したビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが1939年にガレージで立ち上げた会社だ」

上の写真の後ろのガレージがその有名なガレージだ。

HP社では、管理職にならず、ずっと現場でキャリアを積むことができる会社で、実際年上のエンジニアで管理職になっていない人が何人もいたと書いている。 WozはHPで約4年間働いており、電卓回路とその設計に関する仕事をしていた。具体的には、電卓用プロセッサーを公安したエンジニアが書いた図面をチェックし、チップの改良をしていたという。 HPのエンジニアには、飛行機の操縦免許を持った人が多くいて、驚いたことにときどき小型飛行機でお昼を食べに行っていたという(ウォズも免許を持っており、 後年事故を起こしている)。

ジョブズは、「ロスト・インタビュー」の中で、12歳の時にHPで働いた経験について話している。 あるときジョブズは、電話帳を見て、創業者の一人、ビル・ヒューレットに電話をかけた。

「こんにちは。僕はスティーブ・ジョブズと言います。あなたは僕のことを知らないと思いますが、僕は12歳で周波数カウンターを作っていて、予備の部品が欲しいんです。」
ビル・ヒューレットは、12歳の子供からの電話に20分くらいつきあい、部品をくれた上に夏休みの間、ジョブズがHP社で働けるよう手配をしてくれた。 ジョブズにとって、会社について学ぶ初めての機会であり、会社とはどのようなものか、HPが従業員を大切にしていることを知ったと話している。 「当時は誰もコレステロールのことを知らなかったから」という前書きをつけて、ジョブズはHPが毎日午前10時になる(ウォズは午後2時にもあったと書いている)と大きなカートでコーヒーとドーナッツが 運ばれてきて、みんなでコーヒーを飲み、ドーナツを食べたと懐かしんでいる。

ジョブズはインタビューで、「一つのきっかけが次へとつながっていって」として、一本の電話から、ジョブズが毎週火曜の夜にHPの パロアルト研究所の実験室に出かけ、研究者に会ったり、そこで世界初のデスクトップ型コンピュータHP9100を見たりした、と話している。 ジョブズはそこで、BASICやAPLでプログラムを書いて何時間も過ごしたという。そして、そこでジョブズはウォズに出会う。

ジョブズのスタンフォード大学のスピーチ、2番目のストーリー、"love and lost"でジョブズは「なぜ自分が興した会社でクビになるのか?」と嘆いている。 人生をかけたものが失われ、茫然自失の状態となり、数ヶ月何をしていいかわからなくなったジョブズは、「デビッド・パッカードとボブ・ノイズに会って謝りたいと思った」と 言っている。 スピーチから、ジョブズが12歳の自分につきあってくれたビル・パッカードに感謝し、尊敬の念を抱き続けたことを感じさせる。

ここで賢明な読者は、「もう一人のボブ・ノイスは誰で、なぜジョブズは彼に謝ろうとしたのか」と気になるかもしれない。

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