10/23/2015

講義当日

今回の講義は、個人として受けたため、調査や準備は週末や帰宅してからの時間を用いて作業してきた。今日も有休休暇をとって、今自宅で準備をしている。

自分の場合、コンテンツやメッセージが最重要で、「プレゼンテーション」のメソッドについては、いつも最後、講演直前に作成する。 今回は、HTML5を利用したクラウド型とした。

このブログには作業日誌のイメージで日々の断片的な作業についてメモしていたが、他の人にも読めるようにしたものはこちらで読めるようにした。

配布用の英日対訳文書は、修正を重ねに重ねたが、ほぼ仕上がった(と思う)。 この文書中に記載しているようにスピーチの草稿オリジナルは、スタンフォード大学が公開しているものを使用しているが、昨日他の方が 訳されたものと比べていて、「実際にジョブズが話した内容と違う」ことを発見した。これはおそらく、スタンフォード大学が掲載しているものは、 ジョブズから受領した原稿で、ジョブズは基本的にはそれを読み上げたが一部アドリブとなっている、ということだと思う。後で、 差異にについて確認してみようと思う。

10/21/2015

LaTeXで営業ツール、「送り状」を作成した

講義のほうは、個人対応ということで、平日帰宅してからの時間や週末を利用して作業しており、当日(10/23)も 有給休暇をとっている。現在の「本業」は、一言でいうと営業になるが、営業では見積や請求書等を 郵送するのが重要な仕事となる。請求書等の様式は、受注を扱うシステムが生成するので、自分で編集しないが、 まさか請求書だけを封筒に入れて送るわけにもいかない。ということで、送り状を作ることになる。 最初の頃は、まったく余裕がなかったので、他の人がWordやExcelで作成したものを共有してもらい、 対処していたが、ずっとLaTeXで様式を作りたいと思っていた。

ということで、flashleft, flashrightなどを使い挑戦してみたが、実際にやってみると色々問題があり、 予想以上に難しい。何が、難しいかというと、

  • 見慣れた?Wordに比べると、デフォルトの10ptは文字が小さすぎる
  • 普通にLaTeXで組むと、行間が広すぎてしまう。特に窓枠がついた封筒で宛先を表示すると、すかすかで非常に見苦しい
  • (これは自社の封筒固有の問題かもしれないが)窓枠が上のほうにあり、どうやっても住所が表示に収まらない

試行錯誤を繰り返し、以下のように対処した。

  • jsarticle[a4j,11pt]を用いる(これでほぼWordの10.5ptと同じ大きさになる)
  • 宛先の部分は、行間を81%にする(これでほぼ違和感がなくなる)
  • ページヘッダの領域について、\setlength{\voffset}{-1in} した上でパラメータを調整する
最後の項目について補足すると、LaTeXでは無条件にページの上端1インチを使わないようになっている。 そのため、ページレイアウトに用いる各種パラメータを0にしても、どうしても表示が下のほうに なってしまう。 そこで、その1インチを減じることにより、ページ上部を使えるようにする。

その他、郵便番号の表示を大きくしたり、社名や受け取り者の名前を大きくしたり調整した結果、 ほぼ満足できる状態が実現できた。しかし、そのままでは宛先ごとに文書を 編集しなければならないので、送付先や送付日、送付物一覧などをパラメータとして切り出し、 それらを設定するマクロを書いた。また、社のロゴをincludegraphicsした。

他の方からいただいた送り状と自分で作成したものを見比べたが、 「手間と時間をかけずに送り状を作る」なら、圧倒的にWordが有利だ。 しかし、Wordで作成したものは、ほとんど調整の余地がなく、見て美しいという レベルにするのは難しいと思う(Wordマスターならできるのかもしれないが)。 それに対して、LaTeXで組んだものは、環境を用意したり、最初のバージョンを組むまでは 時間がかかるが、一旦できると手間がかからず、印刷したり、封筒に入れたりしていて 自分でも気持ちが良い。

ということで作成した送り状を見たいという方は、是非ご発注ください(笑)。

John Hennessy学長によるジョブズ紹介の原稿

内容未確認だが、John Hennesyスタンフォード学長(当時)による、ジョブズ紹介の原稿を紹介しているWebサイトがあった。

  • http://www.singjupost.com/steve-jobs-2005-stanford-commencement-address-full-transcript/

「英語で読むスティーブジョブズ」と「アップルデザイン」

横浜市立図書館で、「英語で読むスティーブジョブズ」と「アップルデザイン」を借りてきた。

「英語で読むスティーブジョブズ」は、トム・クリスティアンによるジョブズの生涯の紹介で、167ページの 薄くコンパクトな本だが、コンパクトに気持ちよくまとまっている。 また驚くべきことに、今回相当数の資料を調べている自分が読んでも新しい情報や発見があった。 これはおそらくトム・クリスティアン氏が、他のジョブズ本と違う情報源をあたったということだろう。 本には、MP3形式のCD-ROMもついている。

もう一冊、アップルデザインについては、カウンターから予約していた本を渡されたとき、 その巨大さに驚いた。この本は、「ジョン・アイブ」の中で、必読書として 紹介されていたが、今まで手にした本の中で、もっとも大きく重い本で、 「Fearless Genius」が小さく見える。 この本は、アップルのデザイナー達が設立20周年を機会に、出版されたが、 「ジョン・アイブ」では、その出版の背景について紹介しているので、 興味ある人は読むと良いと思う(背景を知るときっと自分のように読みたくなるだろう)。

「ジョン・アイブ」と「英語で読むスティーブ・ジョブズ」「アップルデザイン」には、 見えない共通点があり、つながっている。その軸は「デザイン」だ。 不思議な偶然を感じた。

10/13/2015

「スティーブ・ジョブズの真実」、「スティーブ・ジョブズ」を観た

「スティーブ・ジョブズの真実」、「スティーブ・ジョブズ」を観た。いずれもよくまとまっており、エンターテイメントとしても十分成立していた。 成功の要因は、「主題の選定」と「大胆な(主題に沿わない)テーマの切り捨て、にあると思う。「スティーブ・ジョブズ」では、起業期のエピソードにやや時間をかけすぎかもしれない。 キャスティングが実在の人物に似た人を選んでおり、エンドロールで本人の写真とキャストを並べているのは、なんだかほほえましかった。

まったく関係ないけれど、稲垣潤一「男と女 4」に高橋洋子さんとのデュエット曲があるのを知り、聴いてみた。このシリーズでは、「男と女」に次ぐ2曲目となる。

10/12/2015

スタンフォード大学講演の日本語訳を文書にまとめた

ジョブズがスタンフォード大学で行ったスピーチについて、スタンフォード大学が公開している草稿とそれを自分で訳した内容について、LaTeXで文書を作成した。

10/08/2015

ジョブズの思想のエッセンス

「The Lost Interview」について

ジョブズは、自分自身で本を書いていない。インタビューも嫌いだったようで、あまり多くは残っていない。 そのジョブズが、NeXTが行き詰まった時期に単独でインタビューに応じていたが、あろうことか テープが行方不明になってしまっていた。そのテープを関係者が個人的に保存してあったのが「発見」されたのが 「The Lost Interview」だ。この貴重な資料は、DVDと書籍として現在販売されている。 ジョブズのエピソードに興味がある人は、「アメリカン・ドリーム」や 「レボリューション・イン・ザ・バレー」を読めば良い、ジョブズの思想に興味がある人は、まず「The Lost Interview」を 視聴し、そして活字で読むべきだ。

  • http://www.forbes.com/sites/briancaulfield/2011/11/11/robert-cringely-on-his-lost-interview-with-steve-jobs/

The Lost Interviewは、ジョブズの失意の時期に取材されている。そして、おそらくそのせいで、 ジョブズはいつもより饒舌に、ある意味開き直って語っている。書籍も動画も情報も、「どの時期」の取材に基づき作られたかは、 それ自体極めて重要な情報だ。ということで、講演用に「年表」を作成している。

10/03/2015

Stay Hungry, Stay Foolish

スタンフォード大学で行われた伝説のスピーチについて、スタンフォード大学が公開している草稿をポメラに保存し、少しずつ日本語に訳していたが、一通り終了した。

I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.

世界でもっとも素晴らしい大学のひとつの卒業式に参列することを 名誉に思います。私は大学を卒業していません。本当のことを言えば、 これが私の人生で大学の卒業式にもっとも近づいた体験となります。 今日、私は私の人生から 3 つの話をします。それだけです。特にたいした ことはありません。 3 つのお話だけです。

The first story is about connecting the dots.

最初の話は、点をつなぐということです。

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

私は入学して六ヶ月でリード大学を落伍しました。しかし、 本当に大学を離れるまでの間、約18ヶ月、大学をうろついて いました。さて、なぜ私は落伍したか?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.

それは私が生まれる前からつながっています。私の生みの母は、若い未婚の 大学卒業生でした。そして、彼女は私を養子に出すことを決意しました。彼 女は、とても強く、私が大学を卒業した人に養子に出されるべきだと感じて いました。それで、私が生まれたときには、弁護士とその妻の養子となるよう 準備が整っていました。ただ、ひとつ。彼らは最後の最後に、女の子が 欲しいと思ったことをのぞいては。それで、私の(現在の)両親はそのとき順番 待ちのリストに登録されていて、夜中に電話をもらい、「予定外の男の子が いるけれど、希望しますか?」と聞かれました。彼らは、「もちろん」と答 えました。

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.

そして17年後、私はちゃんと大学に行きました。しかし、私は世間知らずにも スタンフォード大学と同じくらい学費の高い大学を選びました ( 苦笑 ) 。 そして、私の労働者階級の貯金が学費に費やされていきました。6ヶ月後、 私は大学に行くことに価値を見つけられませんでした。私は、人生でなにを したいかわからず、大学がそれについてどう助けになるかわかりませんでした。 そして、私は両親がその生涯に蓄えたすべての貯金を使い果たしていたのです。 それで、私は大学をやめて、大丈夫なんとかなると自分に言い聞かせました。 それは、そのときはとても恐ろしい体験でした、しかし、振り返ってみると 私がこれまで行った最上の決断でした。大学をやめた瞬間に、私は興味を感じない 授業を受けなくてよくなりました。そして、興味を持った授業に顔を出すことを 始めました

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned Coke bottles for the 5ツ「 deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:

ちっともロマンチックな状況ではありませんでした。私には寮の部屋がありませんでした。 だから、友達の部屋の床に寝ていました。私は、コカコーラの空き瓶を5セントで 引き取ってもらい、それを食費に充てていました。毎週、日曜日の夜には7マイル歩き、 ハレ・クリシュナ寺に行き、おいしい食事を食べていました。それは格別でした。 そして、後になって、私が好奇心と直感に引かれ出くわしたものの多くが、かけがえの ない価値を持つものでした。その例について話します。

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.

リード大学はそのころ、おそらくアメリカでもっとも優れたカリグラフィーの指導を 行っていました。学内では、あらゆるポスター、引き出しに貼られた見出しなど、 美しく手書きされていました。私は、落伍していて、通常の授業を受ける必要が なかったので、そうした美しい手書きのやり方を覚えるためにカリグラフィーの授業を 受けることにしました。私は、 serif と sans serif の書体について、文字の組み合わせに 応じて、文字の間の空白を調整することについて、また何が美しい書体を作るのかに ついて学びました。それは、美しく、歴史の流れを汲んでおり、科学の到達できない 領域で美的に洗練されていました。そして、私は強く惹かれました。

None of this had even a hope of any practical application in my life. But 10 years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backward 10 years later.

それらのどれについても、私のそれからの人生において現実的な応用ができるとは 思えませんでした。しかし、それから十年が経過して、私たちがマッキントッシュを 設計していたとき、それらすべてが私のところに返ってきました。マッキントッシュは、 美しい書体に対応した最初のコンピュータでした。もし、私が決まったコースを落伍 しなければ、マッキントッシュは、複数の書体や文字間のスペースを調整する機能を 持たなかったでしょう。ウィンドウズは、マックをパクったので、パーソナルコンピュータは それらを持たなかったことでしょう。もし、私が落伍していなければ、私はカリグラ フィーのクラスに顔を出すことはなく、パーソナルコンピュータは、現在のような 素晴らしい書体を持たなかったことでしょう。もちろん、私が大学にいたころに、 点を未来につなげることはできませんでした。しかし、10年経過してから振り返ったとき、 点は非常にクリアにつながったのです。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something -- your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

もう一度言います。点を未来につなげることはできません。過去を振り返ることによって のみ点をつなげることができるのです。だから、あなた方は点が未来にどうにかして つながるということを信じる必要があります。何かに信を置かなければなりません。 勇気、運命、人生、カルマ、その他なんであったとしても。この方法をとることに よって、私は一度も落ち込むことがありませんでした。そして、人生をまったく変えた のです。

My second story is about love and loss.

二つ目の話は、愛と喪失についてです。

I was lucky -- I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents' garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4,000 employees. We had just released our finest creation -- the Macintosh -- a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.

私は幸運でした。人生の早い段階で、熱中できることを見つけました。ウォズと私は、 私が20歳のときに、私の家の庭でアップルを始めました。私たちは一生懸命がんばって、 10年後アップルは庭の二人の会社から、従業員4000人、年商20億ドルの会社にまで 成長しました。創業10周年を迎える一年前、私たちは最上の創造物、マッキントッシュを 世に送り出しました。そして、私は30歳になり、会社をクビになりました。いったい、 どうしたら自分が始めた会社で首にされるのでしょう?(苦笑)アップルの経営の規模が 大きくなったので、私は一緒に会社を経営する才能があると思われる人を雇いました。 そして、それは最初の年とちょっとはうまくいきました。しかし、未来のビジョンに ついて、意見を異にするようになり、最後は決裂しました。そのとき、ボードメンバーや ディレクター達は彼のほうを支持しました。それで、30歳のとき、私は会社をでました。 それも非常に派手な形で。私の成人してからの人生全体の焦点が失われ、 それは破壊的でした。

I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down -- that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me -- I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.

私は数ヶ月の間、本当にどうして良いかわかりませんでした。私は、私の前のアントレプラナー達を がっかりさせた、私に託されたバトンを落としてしまった、と思いました。私は、 デイビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、こんなにひどく台無しにしたことを 謝ろうとしました。私の失敗は広く知られており、私はシリコンバレーから逃げ出す ことすら考えました。しかし、何かがゆっくりと私に広がってきました。私は、まだ私が やっていたことに愛を感じていました。アップルで起こった出来事は、ただの1ビットもそれを 変えていませんでした。私は追い出されました、しかし、私の愛は続いていました。 そして、私はまた始めようと決意しました。

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

そのときはわかりませんでした。しかし、アップルを解雇されたことは、私について起こりえた最上 の出来事でした。成功したことに伴う重圧は、再び何もわからない初心者の気軽さにとって変わりまし た。そのことは、人生で再びもっとも創造的な時期に入るために私を解放してくれました。

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world's first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.

それからの5年間、私は NeXT 、そして Pixar と呼ばれる会社を立ち上げました。 そして、現在私の妻である驚嘆すべき女性と出会い、恋に落ちました。ピクサーは、世界で最初のコンピュータによる アニメーション、「トイ・ストーリー」を創ろうとしており、今や世界でもっとも成功した アニメーションスタジオです。驚くべき巡り合わせの結果、アップルは NeXT を買収し、 私はアップルに戻りました。そして、私たちが NeXT 社で開発した技術は、アップルの現在の革命の 原動力になっています。そして、ローリーンと私は、素晴らしい家庭を持つことができました。

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle.

これらのことすべてについて、私がアップルをクビにならなければ起こらなかったのは明白です。 疑う余地はありません。それはひどい味の薬でした、しかし、思うに患者(である自分)は それを必要としていたのです。人生には、ときどき、煉瓦で頭を殴られるような出来事が起こります。 私は、自分がこれまで続けることを可能にした唯一の力は、私が自分のしていたことを愛していた からだと納得しています。そして、そのことはあなたたちの恋人に対してそうであるように、 仕事に対しても成り立ちます。そして、偉大な仕事を成し遂げる唯一の方法は、自分がやっている ことを愛することなのです。もし、あなたがまだそれを見つけていないなら、探し続けることです。 ぼけっとしていてはいけません。あなたの心で起こるすべてと同様に、あなたは それを発見すると自分で気がつきます。そして、あらゆる最上の関係がそうであるように、 年月を重ねることにより深まっていきます。だから、探し続けてください。ぼんやりしないで。

My third story is about death.

私の三番目の話は、死についてです。

When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

私が17歳のとき、「もし毎日を「今日が人生最後の日だ」という気持ちで生きていれば、 いつかそれが本当になる日がくる」、そのような引用を読んだことがあります。それは私の印象に残り、 それからの33年間、私は毎朝鏡を見て自問してきました、「もし今日が人生最後の一日だとしたら、 今日予定していることをしたいだろうか?」、と。そして、その答えが「いや、違う」が何日も続くとき、 私は何かを変えなければいけないのだと気づきました。

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything -- all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure -- these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

自分がじきにこの世を去ることを思い出すことは、人生において大きな変更を行う際の、私が知る 限りもっとも重要なツールです。なぜなら、ほとんどすべての事柄、あらゆる周囲の期待、 あらゆる誇り、あらゆる困惑や失敗へのおそれ、そうしたものは、真に大切なものを残し、死の前に 崩れ去るからです。自分たちがやがて死ぬということを思い出すことは、私が知る限り 「何か失うものがあるかもしれないと思いこむ」罠からあなた方を救う最上の方法です。あなた方は、 すでに丸裸です。心の思うままに従わない理由など、どこにもありません。

About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

一年くらい前、私はガンだと告げられました。朝、7時30分に撮影を行ったところ、膵臓に はっきり腫瘍が写っていました。私は膵臓が何かも知らなかったのに。主治医たちは、私に これはほぼ治療できないガンと思われ、余命は3ヶ月あるいは6ヶ月に及ばないと言いました。 主治医は、家に行って、用事を片づけておくようにと言いました。それは、 「死に備えなさい」というお医者さんの暗号で、これから10年生きていたとしたら子供たちに 伝えておこうと思うすべてのことを、たった数ヶ月で実行せよという意味です。家族が楽になる ように、できることをしておけということです。別れを告げなさい、ということです。

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I'm fine now.

私は終日その診断のことを考えていました。その夜、遅く、喉から胃、腸までへと内視鏡を通し、 針のようなものでガンの細胞を採取しました。私は麻酔でもうろうとしていましたが、妻がいて、 「お医者さんが顕微鏡で採取した細胞を見始めたら、きわめてまれな外科手術で治療できるもの だと鳴き始めた」と教えてくれました。私は手術を受け、そして今大丈夫です。

This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:

これは私にとってもっとも死に近い経験でした。そして、私はあと数十年、それ以上の ことがないことを望んでいます。その経験を通じて、私は死が純粋に知的な概念であった頃より 少しは明確に、このことをあなた方に言えるのです。

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

誰も死にたくありません。天国にいきたいと願う人ですら、死にたくないでしょう。 でも、死は我々すべてに共通する行き先です。誰もそこから逃げられません。そして、また そうであるべきなのです。なぜなら、死こそが人生における唯一最上の発明と 思われるからです。死は、人生を変える手段です。それは、新しい人々のために老人を 整理します。今は、あなた方がその若者です。しかし、それほど先でなく、あなた方は 徐々に年をとり、そしていなくなります。芝居じみてすみません、しかしこれは まったく本当のことなのです。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma -- which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

あなたの時間には限りがあります。だから、それを他の誰かのために無駄にしてはいけません。ドグマ、 他の人考えた結果、にとらわれてはいけません。他の人の考えの雑音で、あなたの内なる声を おぼれさせてはいけません。そして、もっとも重要なこと、それはあなたの心と直感にしたがう 勇気を持つことです。あなたの心と直感、それらはどうかして、あなたが真になりたいことを 知っています。それら以外は重要ではありません。

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors and Polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: It was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.

私が若かったころ、「ホールアースカタログ」と呼ばれる驚嘆すべき雑誌があり、それは私たちの 世代のバイブルのひとつでした。それは、ここからあまり離れていないメンロ・パークに住んでいた、 スチュワート・ブランドと呼ばれる若者に創られたもので、彼の詩的なセンスを吹き込まれて いました。まだパーソナルコンピュータやデスクトップパブリッシングのなかった1960年代 後半のことなので、すべてがタイプライター、はさみ、そしてポラロイドカメラで造られていました。 言ってみれば、 Google をペーパーバックにしたようなもので、Google が登場する35年前でした。 観念主義的であり、気の利いたツールと素晴らしい言い回しが満ち溢れていました。

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

スチュワートと彼のチームは何冊かのホールアースカタログを発刊し、そしてその旅を終えたとき、 最終号を発刊しました。1970年代の中頃で、私があなた方くらいの年代のころです。 最終号の裏表紙には、朝のカントリーロードの写真があり、見ると自分がヒッチハイクしている ような冒険心を掻き立てられました。下の方に言葉が書かれていました。「空腹であれ、 愚か者であれ」。それは、彼らが去ることの別れのメッセージでした。空腹であれ、 愚か者であれ、私はいつもそう願って生きてきました。そして今、あなた方が巣立つときなので、 私はあなた方にそれを願います。

Stay Hungry. Stay Foolish.

空腹であれ、愚か者であれ

Thank you all very much.

ありがとうございました。


ここまで読んだしつこい?方のために、上記を対訳の形でpdfにしたものをプレゼント

「ブルーマジック」を読んだ

「ブルーマジック」を読んだ。この本の原題は、"The People, Power and Politics Behind the IBM Personal Computer"、で日本語副題は「IBMニューマシン開発チームの奇跡」となっている。 IBM PCを創りだしたプロジェクト"Chess"について取材を元に書かれた本で、関係者でなければわからないことが書かれているが、中盤くらいから構成が乱れており、残念な内容となっている。

ジョブズの大学選び

「アメリカン・ドリーム」に、ジョブズの大学選びのエピソードが書かれている。

まず、年上の友人達の通う大学を念入りに見てまわり、自分に合うかどうかを確かめた。 巨大な階段教室のいくつもあるバークレーは、学位製造工場みたいに思えたし、スタンフォードはあまりにもまじめすぎた。 結局、友人の一人が在学しているオレゴン州ポートランドのリード・カレッジを見学してみて、こぢんまりした、自由な校風だが、授業料の高いこの大学で、 学生生活を送ってみようと決めた。息子の決心を聞いた父親のポールは、莫大な授業料にびっくり仰天した。 母親によれば、「スチーブは、『行きたい大学はそこだけだ。そこへ行けないのなら、他のどの大学にも行かない』といった」という。両親はこの 精神的な脅迫に負けた。

「学費が高い」とは、いったいどのくらいだったのだろう?と思い、調べてみた。 当時の学費はわからないが、現在は、年間約5万ドルのようだ。確かに高い。

リード大学の学費について、「スティーブ・ジョブズの再臨」に、気になることが書いてある。

実はスティーブは、自分流にカレッジへの入学ですらタダでやってのけている。彼の両親は、学費の高い私学に彼を通わせる余裕がなかったのだが、 にも関わらず彼は先んじて入学手続きを済ませてしまった。それは、不可能と思われることを達成するための、一途で挑戦的な恐れを知らぬ 彼なりのやり方だった。

そのリードカレッジでスティーブの一番の友達になったダン・コトケは、高等教育におけるスティーブの冒険は、 何かのイタズラのようでもあり、徒労でもあったと語る。というのも、2人が1年生として10月を迎えたとき、 つまりキャンパスで過ごし始めてひと月しか経たないうちに、スティーブは退学していたからだ。 より正確には、彼は実際には入学すらしていなかったと言うべきか。なぜなら、スティーブはコースに登録して 寮に引っ越しては来たものの、学費も寮費も委員会の費用もすべて払っていなかったからである。 その数千ドルにのぼる請求額は、期限を30日過ぎても納付されずにいた。 スティーブの両親が支払わなかったからだが、スティーブには他に財源がない。したがって、 カレッジ側は彼を正式な学生として認めることはなかったのだった。

ところが、スティーブはその時までに学生部長のジャック・ダドマンと気安い関係になっていた。 そして、ジャックを説得して、授業を受講する許可と寮に住む権利をタダで手に入れてしまった。

DVD「スティーブ・ジョブズの真実」に、リード大学の光景が含まれている。

「アメリカン・ドリーム」を読んだ

マイケル・モーリッツの「アメリカン・ドリーム」を読んだ。1984年に書かれたこの本は、多くの「ジョブズ本」のネタ帳のような存在で、Macintoshプロジェクトやジョブズのきわめて内部的なエピソードが満載されている。

ジョブズは静かに、ゆっくりと話しはじめた。 「この事業部は、アップルを背負って立つ中枢部門だ。ここに最高の人材を集めて、ほとんどだれもがまだやったことのないことを、やりとげなければならない。わが事業部は、まだ製品といえるものを出荷していないが、それを成し遂げるのだ」

そう前置きしてから、すばやい足どりでパネル台に近づくと、その上のクリーム色の大きな紙に、子供のような時で書かれたいくつかの標語を指しながら、お説教を始めた。 「出荷されるまでは、仕事は終わっていない」と標語の一つを読み上げてから、「解決しなければならないこまかい問題は無数にある。六カ月前には、わが事業部にそれができる、とはだれも信じていなかった。今では、だれもがわが事業部の成功を信じている。会社はリサを何台か売るだろうが、アップルの未来はマックにかかっている」とつづけていった。

さらに紙を一枚めくって、次のスローガンを指さし、「妥協するな」と読んだ。話は、こんどのコンピュータの発表予定日に移り、「急いでできそこないを発表するよりは、期日を遅らせるほうがまだましだ」といって、ちょっと言葉を切ってから、「しかし、予定を遅らせるつもりはない」と断言した」。

もう一枚、紙をめくり、「苦労というものは、した甲斐がある」と読み上げ、先を予言するような口調で「五年もしてから現在のことをふりかえると、きっとだれもが「あのころはほんとうによかった」というにちがいない。みんなわかっていると思うが・・・」とここで声を半オクターブほど上げて、ゆっくりした口調でこう述べた。「この部門こそ、アップルのなかでもっともすばらしい仕事場なのだ。ここは三年前のアップルそっくりだ。このまま純粋性を保ち、適切な人材を雇っていくなら、これからもずっとすばらしい職場であり続けるだろう」

以上の引用は14ページから15ページまでから、引いた。ジョブズ本を読んだことがあれば、おなじみの内容ばかりだろう。この本がリソースとなっている。

なぜ、モーリスはこんな内部の打ち合わせの内容を書けたか不思議になるが、その答えは「レボリューション・イン・ザ・バレー」、p132"The Little Kingdom"にある。

Maintoshの開発は、Apple社内でも秘密の囲いに覆われていたので、数ヶ月後のある日、Steveが「TIME」誌のレポーターのMike Moritzを伴ってBandley 4のソフトウェアエリアに現れた時にはみんな驚いた。Steveは僕に、彼にMacintoshのデモをして、すべての質問に答えるように言いつけた。MikeはAppleについての本を書きたいと思っていて、Macintoshチームを含めた会社全体にアクセスできるよう、Steveを説得したようだ。

「Mikeは俺たちの歴史かになる」とSteveは言った。「だから、みんな、彼には何でも教えてやってくれ。彼をチームのメンバー同様に扱うように。彼は俺たちの話を書いてくれるんだから」。

その後、モーリッツは「TIME」誌の記事について、ジョブズの逆鱗に触れてしまい、プロジェクトに「モーリッツと話をしたら、その場でクビにしてやるからな!」ということになるが、アンディは、

しかし、Mikeが彼の本の仕上げにかかると、何人かはまだこっそりMikeと話をした。ちょうどMacの市場導入の頃だった。本は「The Little Kingdom: The Private Story of Apple Computer」というタイトルで、1984の秋に発売された。20年経っても、これまでApple社について書かれた最も素晴らしい本の一つであり続けている。
と評している。「スティーブ・ジョブズの王国」もまたモーリッツの著作だが、モーリッツの書いた本は奇妙なゆがみを感じさせる。

10/01/2015

「アップル薄氷の500日」を読んだ

「アップル薄氷の500日」を読んだ。この本は、ギル・アメリオがアップルのCEOを勤めていた500日の出来事を書いたもので、アメリオがCEOに就任した経緯から始まり、最後は取締役会から退任を告げられたところで終わる。 この本には、アップルの身売り交渉の詳細について書かれていて、当時のアップルの苦境がよくわかる。「復活」後のアップルしか知らない若い世代にはとても信じられないだろうけれど、アップルは資金がショートし、本当に倒産寸前だったのだ。他にもわかることがある。アメリオは、あまりに普通の人、というか普通の経営者だ。彼は、自らジョブズを招きいれることを受け入れ、そして結果的にはそれにより自分がCEOの席を奪われ、無能なCEOとして歴史に名を残してしまった。これはスカリーにもあてはまる。アメリオは自分でも書いているが、アップルに関わらなければ(あるいはジョブズを招き入れなければ)、ナショナルセミコンダクト社を復活させた輝かしいキャリアに傷をつけることはなかっただろう。それにしても、書籍の中で、CEO就任時や去るときの条件について詳しく書いているのは痛い。

上の動画は、Macworld 1997で、アメリオが「復活」したジョブズを紹介する場面から始まる。アメリオの普通さ「普通の人でない」ジョブズの違いが、歴然と現れている。紹介して現れたジョブズは、最初当惑している。こんなジョブズは珍しい。しかし、話を始めると人が変わる。本当に何かがおりてきているかのようだ。気の毒なアメリオは舞台に取り残されてそれを見ている

「アップル薄氷の500日」の中でアメリオはとても興味深いことを書いている。

自分にこんな高額報酬の価値があると、私は信じていたのか?いまも信じているのか?その点を説明しておこう。

企業のCEOが受け取る金銭報酬は、有名スポーツ選手や全国ネットワークTV局の司会者が受け取る報酬に似ている。そのポストにふさわしい数少ない候補者のなかから誰かを登用しなければいけないから、いくら出せば本人がやる気になるかが基準だ。マーケティング担当の責任者や営業担当の責任者がもらう報酬と比較して、いや、イギリスやフランスやドイツのCEOがもらう報酬と比較してさえ、ルー・ガイスナー(IBM会長)、マイケル・アイスナー(ウォルト・ディズニー会長)、スティーブ・ロス(タイム・ワーナー元会長)のような人物がもらっている報酬は、あまりにも高額だ。これほどの額に値するCEOなど、本当はどこにもいないと思う。マイケル・ジョーダン(プロ・バスケットボール選手)やダン・ラザー(TVキャスター)の報酬額にも同じことがいえるだろう。しかし、競争がきわめて激しい市場分野では、企業も、スポーツ・チームもテレビ局も、有能な人材を引き寄せるためなら法外な金を惜しまない。競争が、途方もない金額を生み出す。それが現実だ。自由経済を支える、需要と供給のバランスなのだ。同じぐらい懸命に働いているほかの人たちに不公平ではないか?そう不公平だ。では、こういう状態は、近い将来、変わるだろうか?いいや、変わらない。